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超がつくような激動の年

GDPが3位に転落する同じ年に千年に一度の大災害が襲うというのが今の日本を象徴的に示しているように、低落傾向に歯止めがかからない。

景気が回復しましたという今の世の大本営発表に市民の大多数が実感を感じないのは、低落傾向のほうはひしひしと半端じゃない実感をともなっているからだ。寒いというより、痛い。


そして、かの国が51.5時間ひた隠したとされる、昨日のニュース。対岸の火事ではない。隣国の懸念は自国の危機に直結する。この影響が本当に出るのは、来年。超がつくような激動の年は、今年で終わって来年は平和な年でありますようにと祈ってみても、どう考えても激動傾向は収まるまい。

こういう時代に、安定した職と揺らがぬ衣食住を確保した人は間違いなく勝ち組と呼んでいいのだが、変化はチャンス。何事か大きな仕事をなすには、激動の時代は適時だといえる。本当の勝ち組は、本当に勝負して、勝った人。勝負は始まったばかりと考えるべきだ。

かつて「フラット化する世界」でフリードマンは、これから生き残るコツとして、グローバルに存在感をもつ少数をめざすこと、それ以外では、地域密着で存在価値をもつニッチをみつけること、とかなんとかいう内容を主張していたように記憶する。だけど実際には、地域密着ニッチは、都市型大資本の絨毯爆撃の前には非力であることが示されてきたように感じる。郊外のロードサイド店として生き残るのはチェーン店ばかり。消費者の嗜好が地域密着ニッチを向いていない限り、フリードマンの生き残り戦略の片側は絵に描いた餅となる。

では、誰もが勝間和代をめざさなくてはならないのか。

この議論は数年前に流行した。そりゃ無理だと。

激動の時代を生き抜くには、泳がなくてはならない。探すニッチは、地域密着のニッチだけでなく、自分が本当に適性を発揮できる、多次元ニッチだ。地域は座標軸の一つでしかない。そしてそのニッチは、急速に生まれ、急速に消滅する。波から波へと機敏に乗り移ってゆく覚悟と体力が必要なのだ。

来年はどういうニッチが生まれてくるのだろう。安定を手にしていない者は、波を見る目を育て、チャンスに備えるのだ。チャンスの女神には前髪しかないだけではなく、その走り去るスピードは驚異的に速いのだ。

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このページは、nyが2011年12月20日 10:31に書いたブログ記事です。

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